人魚ログ

(人魚ノートの過去ログです)


◇平成15年11月◇

02日マリAIR様がみてる 1
06日マリAIR様がみてる 2


平成15年11月2日 マリAIR様がみてる 1


「もうかりまっか」
「もうかりまっか」

 あぶらっこい朝の挨拶が、淀んだ曇り空にこだまする。
 マリAIR様のお庭に集う乙女たちが、今日もナニワ商人のような打算に満ちたしたり顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 汚れまくった心身を包むのは、濃い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと揉み手するのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで塀を飛び越えるなどといった、反則技を使う生徒など存在しないはずがない。
 私立リリAIRン女学園。
 カンブリア紀創立のこの学園は、もとはナニワのアキンドのためにつくられたという、うさん臭いお嬢さま学校である。
 田舎町。舗装もされてないこの未開発地域で、ネ申に見守られ、幼稚舎から特別養護老人ホームまでの終身保障が受けられる乙女の園。
 時代は移り変わり、バブル崩壊後冷えきった平成の今日でさえ、十八年間通い続ければビニールハウス育ちの不純物混入お嬢さまが箱入りで出荷される、という仕組みが未だに残っている迷惑な学園である。

 彼女――、神尾観鈴もそんな平凡なエセお嬢さまの一人だった。



 


「ちょっと待ちぃ」

 とある朝の登校風景。
 突然背後から呼び止められ心臓が跳ね上がる。
 今日も今日とて遅刻してしまった観鈴は、必殺技の『あたかも一時間目からいた顔をして、二時間目から授業を受ける』作戦を実行したのであった。裏門の塀を乗り越え、やっと一息ついたときのことである。生活指導の教師に見つかってしまったか。
 しかしあわててはいけない。ここからは騙し合い、ハッタリの勝負である。焦って口を滑らせたりしようものなら一気につけこまれてしまう。
 あくまで優雅に、そして美しく。少しでも上級生のお姉さま方に近づけるように。
 だから振り返って相手の顔を真っ直ぐとらえたら、まずは何をおいても笑顔で挨拶を――。
 だが残念ながら観鈴の口から「もうかりまっか」が発せられることはなかった。
「――」
 その声の主を認識したとたん絶句してしまったから。
「えっと……わたしに何か御用ですか……」
 どうにか勇気をふりしぼって恐る恐る尋ねてみた。もちろん、彼女が誰であるか判明した時点で半分以上は諦めている。
「姉ちゃん、ちょっと金貸してくれへんか」
 硬直したまま動けずにいると、鞄の中やから制服のポケットやらをゴソゴソやられる。
(わわわわっ!)
 とうとうお財布を探り当てられ、ためらいもなく残高をチェックされた。
「ちっ、シケとるなぁ」
 眉間にしわを寄せて、とくに中味を抜き取りもせずそのまま恐竜柄プリントのお財布を戻す。しかし収穫なしでは帰れなかったのだろうか、またもゴソゴソやりはじめた。
「なんやこれ……トランプか」
「あっ、それはメッ」
 必死の懇願も聞き入れられず、これまた恐竜模様のトランプが彼女の懐に収められる。
「没収や」
 ナニワ商人のネ申、マリAIR様が宿ったかのようなにやり顔を浮かべると、「まいどおおきに」を残して彼女は校舎へ戻っていった。
(あれは……あの人は……)
 後に残された観鈴は、状況が飲み込めてくるにつれて徐々にヘコんでいった。
 間違いない。
 二年人魚組、袖尾晴子さま。ちなみに出席番号は二十八番。通称『晴薔薇のつぼみ』(ロサ・ハルンティア・アン・ブウトン)。
 名前を口にすることさえ恐ろしい。全校生徒の畏敬の対象。
(が、がお…)
 恐怖に縮み上がる寸前である。
(トランプ、とられちゃった)
 観鈴はしばらく呆然と立ちつくしていた。



  


「なーんだ、そんなこと」
 前の席の茂美ちんは、話を聞くなり哀れみの顔を向けた。
「が、がお…」
「裏門付近は危ないから、私は絶対通らないわよ」
「トランプ……」
「諦めるしかしょうがないわね。相手はリリAIRン女学園の番長よ。番長はカタギのことなんかいちいち覚えてないわよ」
 プロと素人。
 本当のことだけど、いや、だからこそそら恐ろしい。どうして自分はこんな学校に入ってしまったのか。
 ちなみに、茂美というのは沢口茂美のことである。リリAIRンでは同級生同士は名前に「ちん」をつけて、上級生を呼ぶときは名前に「さま」だ。
「カツアゲされてヘコむのは仕方ないわよ。『山イモ会』の幹部に目をつけられて平気な人なんて学園中に存在しないもの」
 リリAIRン女学園高等部に存在する『CLANNAD』というシステムは、アイルランド・ゲール語で家族を意味するもので、生徒の派閥性を推進する学校側の姿勢によって生まれたといえる。
 個人的に強く結びついた上級生と下級生をCLANNADと指す。商工会バッチの授受を行い、クラナドとなることを約束する儀式がいつ頃から始められたかは定かではない。
 席が前後という関係で仕方なく嫌々世間話につきあってくれる茂美ちん以外、観鈴にはクラナドどころか友達さえいなかった。
 朝礼のチャイムが鳴る。
 続いて校内放送で商人心得八箇条が流れる。

「お客様は神様です」
「地獄の沙汰も金次第」
「金は地球を救う」
「習うより儲けろ」
「お金で買えない価値はない。買えるものはマリAIRカードで」
「しぼれるなら 枯れるまでしぼろう お客様」
「風を吹かして自分で儲けろ」
「親でも国でも売ってしまえ。ただし、出来るだけ高く」

 今日も一日、もうかりますように。
 けれど、揉み手しながらいつもの孤独な生活から外れていくような予感をどこかに感じていた。



  


「観鈴どの、観鈴どの」
 放課後、掃除当番だったそろばん室から出たところで声をかけられた。
「あ、神奈ちん。もうかりまっか。にはは」
「少し話があるのだが――」
「わ、なにかななにかな」
 茂美以外のクラスメイトからお呼びがかかることなど滅多にない。たまに声をかけられるとき、大抵は「訪問販売」の授業で課せられた宿題(ノルマ)を果たすための売上協力依頼である。それはこの際目をつぶっておいて、今こそ友達を作るチャンスだ。
 観鈴は愛想よくクラスメイトに応じた。
「写真を一枚買わぬか、観鈴どの」
 ささやかな希望は一瞬で砕け散る。
 そういえば彼女が写真部所属だったことを思い出す。かなりキワドイやり口で資金を集めてるという噂があったはずだ。タシロ部とも呼ばれている。
「どうであろう、なかなかの写り具合だと思わぬか」
 神奈ちんが差し出した一枚の写真。
「こ、これって……!」
 忘れたくても忘れられない、一時間目休み時間の光景。袖尾晴子さまと観鈴との、ツーショット写真。
 それにしてもさすが写真部のタシラー。シャッターチャンスは逃していない。晴子さまの右手はしっかりトランプを掴んでいて、今にもあの「没収や」の声が聞こえてきそうである。
「余は存じている。おまえがカツアゲされたことを。なのに甘んじて泣き寝入りしようとしている事実も。友達がおらぬおまえはトランプがないと一人遊びすることすらかなわん。しかしトランプはこうして袖尾晴子どのの懐の中。おまえはそれすらも許されぬ身と成り果てたのだ」
「が、がお…」
「どうだ、この写真はレッキとした証拠になると思わぬか。これがあれば晴子どのに反撃できるのだ。おまえの命とも言うべきトランプを取り返すことができるのだ」
「うう……」
 ――確かに、この写真があればトランプを取り戻せるかもしれない。
 でも実際どうやって?
 先生にチクられたくなかったらトランプを返せとでも言えばよいのだろうか。例え正当防衛だとしても、それは脅迫をいうものではないだろうか。
「買わぬのなら余が全校中にバラ撒いておまえたち二人を晒し者にしてやろう」
 ……逆に神奈ちんから脅迫されてしまった。
「わ、それだけはメッ」
 公になると今度は学校側にトランプが没収されてしまう。それだけはなんとか避けなければならない。
「どうだ、少しは買う気になったかの」
「ちょっぴり欲しいかな、欲しいかな…」
 正直なところ、他に選択肢はなかった。
「1両でよいぞ」
「ありがとう。にはは……」
 しぶしぶリリAIRン女学園専用通貨を支払って写真を収める。どうしてこんなにツイてないのか。
「それと――」
「え、まだ何か……?」
「余はおまえのために一肌抜いてやったのだ。そこのところを忘れぬようにな」
「きょ、脅迫されたような気がするな、気がするな……」
「なにが脅迫か。こうでもせんとおまえは被害者のままだったのであるぞ。よいか、余は正義のために写真を売ったのだ。晴子どのからトランプを取り返すため、おまえには証拠品が必要であった。そして余はそれを用意できる立場にあった。リリAIRンのアキンドであるなら市場をやすやす見過ごすわけにはいかぬ。つまり、需要と供給が一致した結果なのだ」
「が、がお…」
 神奈の力説にタジタジの観鈴。
 うまく言いくるめられてる気がしないでもないが、もっともらしく聞こえるので反論のしようがない。
「すなわち、おまえが晴子どのと立ち会ってこそ、この写真の意味がある。よいか、何度も申すがトランプを取り返すための写真なのだぞ。余とおまえの正義のための取引なのだ。早急に晴子どののところへ向かうがよい」
「どうしてそうことになるかなぁ…」
「ネガは保管してあるゆえ逃げようと思っても無駄だ」
「が、がお…」
 どうしても直接対決は避けられないらしい。
 それから二十分後、観鈴は山イモ会の本部である『薔薇族の館』の前に立たされていたのである。



  


 リリAIRン女学園高等部の生徒会、その名はマリAIR様にちなんで山イモ会という。
 豪商と呼ばれたマリAIR様。彼女の名が世界に知れ渡るようになったのは、傘下の製薬部門が開発したかゆみ止め皮膚薬の売上を伸ばすため、通り魔的な手段で一般人にすりおろした山イモをぶっかけていったところから由来する。需要がないなら犯罪スレスレでも作ってしまえばよい。「連続山イモ通り魔事件、遂に犯人逮捕!」と三面記事を飾ったとき、そんな腐った商人根性が注目されたのだった。

 あらためて自分を省みる観鈴。進むべくレールをどこで間違ってしまったのか本気で考え込んでしまう。こんな学校に入ってしまった過去か、生徒会本部前に立ち尽くす現在か。
 もう悩んでいてもしかたない。ありったけの勇気と諦めをふりしぼって扉に手をかけようとしたそのとき、中から突然大声が飛び出した。
「だから、なんでうちがそんなことせなあかんねん!」
 ……この下品な関西弁は、間違いない。
 心の準備がまだ整ってないうちに、ターゲットとなるべき人物を捕捉してまったようだ。
「メチャクチャとちゃうんかい! このアンポン姉どもがっっ!!」
 すごく機嫌が悪そうだ。いや、機嫌が悪いどころかこれはかなり怒ってる。上級生に向かって「アンポン姉」なんて言える生徒、晴子さま以外に考えられない。
「わかった。そこまで言うんやったら作ってきたろう! 今すぐこさえてきたらええんやろう!!」
 勢いよく開かれる扉。そこに立ち尽くす悲運の少女。……おのずと結果は見えてくる。
「わわっ」
「うわっっ!」
 人が飛び出してきたと思った瞬間、まずみぞおちに痛みを覚え、次にお尻に激痛が走った。そしてさらに首が苦しくなって肘まで痛い。痛いづくしでなにがなにやらわからなかった。
「晴子。とりあえず袈裟固めとアームロックの複合技はおやめなさい」
「へっちゃらへー?」
「私は見たぞ。倒れこむ前に肘鉄も入れていたな」
「おやおやまあまあ」
 部屋からゾロゾロと出てきた人物。晴薔薇、遠薔薇、霧薔薇、裏薔薇。恐ろしすぎてショック死してしまいそうなオールスターであった。
「しもた、ついいつものクセで……。ちょっと、あんた大丈夫か!?」
 状況を把握した晴子さまは、極めている首と腕をやっと外してくれた。
「よっしゃ、立てるな。体は大丈夫そうや」
 えり首を掴んで強引に引き起こし一人ウンウンとうなずく。
「ええかあんた。悪いんはそっちやで。うちの進行方向におったあんたが悪い。慰謝料なんか請求してきよったらただじゃおかんで。そのへんわかってるやろな!?」
 やっぱりこの人は鬼だ。写真ごときで対抗できるはずがない。
「晴子、いい加減にそのだれかれかまわずインネンつけるクセ、直してもらえないかしら」
「はっはっは。それは姉の教育の成果だな。うちの佳乃を見たまえ。あんなにも愛くるしいではないか」
「おやおやまあまあ。姉バカもほどほどになさりませんと」
 痛みも忘れて呆然とする観鈴にあまり感心がなさそうな薔薇さま方。本当に怖い。生徒会とは名ばかりの番長連合を前にして、すぐにでも逃げ出したい気分だった。
「……本当に…大丈夫ですか?」
 この方はたしか遠薔薇(ロサ・フェトォダ)の遠野比美凪さま。
「あ、大丈夫ですっ。寸止めでやめてくれたから。観鈴ちん強い子。ぶいっ」
 せいぜい愛想よくしてさっさと解放してもらおう。こんな連中と関わり合いになるべきではない。
「そりゃよかったよかった」
 しかしそう簡単にはいかないらしい。いきなり晴子さまは観鈴をギュッと抱きしめた。
「ところであんた」
 抱きついたまま耳元でささやかれる。
「さっきも言うたけど、この袖尾晴子に当て身食らわせといてタダじゃおかんのわかっとるやろな?」
「が、がお…」
「ええか。あんたはうちに慰謝料払わなあかん立場なんや」
 さっきは被害者のはずだったが、いつのまにか加害者となってしまっているらしい。
「うちも鬼とちゃうから金よこせとは言わん。そやから、代わりにちょっとの間だけ芝居につきあってくれ」
「し、芝居……?」
 いきなり体を離され、またもえり首を掴まれる。そしてずいっと薔薇さまたちの前に差し出された。
「あんたら、ちょっと聞いて」
 晴子さまにかかると薔薇さま方ですら「あんたら」扱いで片付けられるようだ。
「さっきの約束、果たさせてもらおう!」
 ――約束。
 いったいなんのことだろう。"芝居"と関係あるのか。
「ちなみに晴子。今の内緒話、思いっきり聞こえてたわよ」
 ……幕が開く前から芝居は終了していた。
「相変わらず単純でわかりやすいやつだな、君は」
「おやおやまあまあ。わたくしたちを出し抜こうとはなんと浅はかな」
「…お芝居のこと…見抜いちゃいました……えっへん」
 さすがの晴子さまも薔薇さまたちにかかってはかたなしのようだ。いつもこんな風にあしらわれているのだろう。その光景が目に浮かぶ。
「と、とととっ、とにかく聞けや!」
 ドモりながらも、見え見えの芝居をまだ続けるつもりらしい。一度走り出すと後には引けない性格のようだ。
 冷や汗をかきながらも勝気に笑みを浮かべ、晴子さまは勢いのまま、その場にいる全員の度肝を抜く言葉を発した。






「今日から我が社はKSD!!」






つづく…   の?



平成15年11月6日 マリAIR様がみてる 2


「まいどおおきに」
「まいどおおきに」

 あぶらっこい朝の挨拶が、淀んだ曇り空にこだまする。
 マリAIR様のお庭に集う乙女たちが、今日もナニワ商人のような打算に満ちたしたり顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 汚れまくった心身を包むのは、濃い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないy……(以下略



  


「…どうぞ」
 目の前に置かれたカップ。中の液体は限りなく白い。
 クリープを多めにリクエストしたのだが、どうも比率がコーヒーと1:9ぐらいになっている。
「わ、やった。どろり濃厚風味っ」
 えっへんと胸を張る美凪さまにストローまで用意してもらったが、紙パックと違ってギュッギュッが出来ないのでしかたなくそのまま口へ運んだ。
 なにげなく和んでいるが、ここはれっきとした山イモ会本部である。落ち着いて話し合いましょうということになって、テーブルを囲んで一息ついたところだった。
「それにしても…」
 ため息混じりの晴薔薇――袖尾郁子さま。
「いくらなんでもKSDはないんじゃないかしら」
「関西ローカルネタにもほどがある」
「…すごく……財津一郎です…」
 観鈴には意味がわからなかったが、どうも一昔前に関西で流れてた、社長にごはんを催促する事務員のおばちゃんが活躍するテレビコマーシャルのことらしかった。
「普段からそうですけど、晴子さまって本当に意味不明でございますこと」
 薔薇さま方の批難に当の本人はツーンとそっぽを向いてる。
「つまり晴子君。君が言いたいのはこういうことか」
 制服の上から白衣を身に着けた霧薔薇(ロサ・キリンシス)、霧鳥聖さまが話を前に進めようとする。
「そこの……観鈴君といったかな。我々との約束を果たすため、彼女を娘(クラナド)にする、と――」
 え? え? え?
 聖さまはなにを言ってるの?
 あまりの展開に観鈴は言葉の意味が飲み込めない。
「あらあらまあまあ」
「ふぅ」
「…ぽ」
 しかし、観鈴以外の人たちにとっては既に明白なことだったらしい。やれやれと言わんばかりのため息である。
「晴子、あなたね。そのめちゃくちゃな性格、いい加減治してもらえないかしら。姉である私の品位まで疑われてしまうわ」
「そんなものは既にドン底まで落ちてるからいいとして。晴子君、当たり屋をネタに脅迫しておいて、あまつさえクラナドの関係を結ぼうなどと盗っ人猛々しい。到底看過できるものではないぞ」
「…残念賞…進呈……」
 ――クラナド。
 ――娘。
「……わたしが…晴子さまの娘……?」
 達したくはなかったのだが、どう考えてもそういう結論になってしまう。
「…でもあれは芝居だったんじゃ?」
「なにが芝居なものですか。いい、観鈴さん。晴子の言葉なんか絶対に信じちゃだめ。最初は芝居でも、あとで気づいたら家でごはんとか作らされてるわよ」
 まるで詐欺の手口まんまだ。
「それが妹に対して言うことかっっ」
「でも、どうしてわたしが娘なんかに? 約束って……」
「ああ。君には最初から説明しなければならんな。当事者であることだし」
 ……当事者。
 とても嫌な響きだった。
「先ほど学園祭のことについて会議していたのだが、そこで晴子君が逆ギレしてしまってな」
「どこが逆ギレやねんっ。あれは正当な怒りやろうが!」
「来週の学園祭。山イモ会は出し物として演劇をすることになっているのだ」
「わ、山イモ会主催のお芝居ですか? すっごい楽しみ。なにをやるのかな、やるのかな」
「山イモ版『失楽園』だ」
「し、失楽園……」
 本当に、どうして自分はこんな学校に入ってしまったのだろうか。
「自分の配役を知らされて晴子が却下を出したの」
「晴子さまの役って……?」
 あまり聞きたくもないのだがそうしないと話が前に進まない。
「もちろん、主役の不倫妻」
 ……ぴったりかもしれない。
 あれ? でも晴子さまはそれを却下してるって……。
 普通の感性をもった生徒なら不倫女の役など言語道断かもしれないが、そこは晴子さま。二つ返事で了承しそうなものだが、意外とアンニュイなところがあるのかもしれない。
「毎年慣例になっている山寺学園からの人材派遣で、向こうの生徒会長に不倫夫役をしてもらうんだけど、それが気に入らないみたいなの」
 ……信じられないが、もしかして男嫌いなのだろうか?
「なんでわざわざアウトソージングしてもらわなあかんねん! 乙女の園リリAIRンやねんから『ドキッ! 女だらけの演劇大会(コッテリもあるよ)』にしといたらええやないかっ」
「山寺からの人材派遣は山イモ会の重要な財源なのよ。断れるはずがないわ」
「お、お金もらってるんですか? 派遣される側なのに……」
「当然。"タダ"でリリAIRン校舎に入れるなんてマリAIR様の教えに反するわ」
 本当に、本当に……どうしてこんな学校に入ってしまったのか……。
「それに晴子君、君も最初は乗り気だったではないか。『まさにうってつけやな! 観客全員が悶え死んでまう濃厚な脂の乗った至高の濡れ場見せたるから、ええ男見繕っといてや〜♪』などと音符つきで言っていたくせに」
「さ、最近は児ポ法もソフ倫もうるさいことやし、やっぱうちが"ピン"で人魚姫でもやったほうが無難やって。『逃した魚は…人魚やで』これやっ、これやがなーーーっっ」
 ……あやしい。
「おやおやまあまあ」
「じー」
 やはり男嫌いということではないようだ。
 ――となると、山寺の生徒会長に問題があるのだろうか。
「あなた見たことない? 山寺の会長さんってインテリ風のかなりイイ男よ。もう一度考え直してみてはどうかしら? ていうか考え直しなさい」
「そこまで言うんやったら姉貴がやればええやん。姉貴のお気に入りなんやったらうちなんぼでも譲るで」
「私は別の仕事があるからそんなところまで手が回らないの」
「んじゃそっちをうちが代わったるわ。これで姉貴は手ぇ空いて、めでたく郁子と敬介のらぶらぶ失楽園上映や〜」
「……晴子、どうして会長の名前を知ってるのかしら?」
「げっ。い、いやいやまあまあっ。情報戦略なんかリリAIRンの基本やん。それぐらいうちかて知ってるってっ」
「…この汗の味は……嘘をついている味よ」
「な、なに舐めとんねんっっっっ!!」
「…………」
「おやおやまあまあ、姉妹コントもほどほどになさいませんと。話が先に進みません」
 晴薔薇姉妹の間に異様な空気が漂っていた。
「あ、でもでもっ。その話とわたしが娘になるって話はどういうつながりが……」
 そうだ。大事なことを忘れていた。
「ああ、それはだな」
「…はてなマーク……」
「…なにゆえでございましたでしょう?」
「なんだったかな」
 この人たち、本当に大丈夫だろうか?
「些細なことよ。ちょっと挑発したら逆ギレしちゃったの。本当に困った妹だわ…」
「なにが"些細"な"挑発"や!! めちゃくちゃ煽ってくれたやないかっ。娘(クラナド)一人作れんやつに人権などないって言うたで!」
「人間というものは"種の保存"という命題を抱えているの。人類の繁栄に貢献できない者に人権など存在しないわ。当然のことね」
 えっと、ちょっと意味が違うんじゃないかな……?
 突っ込みたい気分でいっぱいだが観鈴にはその勇気がなかった。
「この"愛の伝道師"晴子様に向かってなにを言うか。その気になればなんぼでも作れるっちゅうねん! スキ見て枕元のゴムに穴空けてきたらしまいや!!」
 それも意味が違うんじゃないかな……。
「まあ、なんてはしたないっ。少しは言葉を慎みなさい」
「肉欲の伝道師になってどうするか。本当に失楽園に相応しい人物だな。君は」
 かわりに聖(ひじり)さまが突っ込んでくれた。
「そういうわけでまあ、君に晴子君の矛先が回ってきたというわけだ。理解してもらえたかな」
「は、はぁ……」
 さすがは晴子さまというかなんというか、無茶苦茶だ。無茶苦茶すぎる。
「ああっ、もう! ええわ、この際過程なんか無視したらええ」
 今度はなにを言い出す気だ。
「あんた、観鈴とか言うたな。とにかくあんたは今日からうちの娘や。わかったな。嫌とは言わさんで」
「嫌って言えないのかな……」
「そや。あんたはもう、うちの娘や」
「が、がお…」
「嫌とおっしゃいなさい。この子の妄言にいちいち付き合ってたらキリがないわ」
「いくらなんでも初対面の生徒を娘などと……。我々は認めるわけにはいかないぞ」
「……認めちゃいません。えっへん」
 ジリジリと詰め寄られる劣勢の晴子さま。
「あ、初対面ってわけじゃないんですけどねっ」
「!!??」
 そのとき、キュピーンと晴子さまの頭上に電球がパッと光ったような気がした。
「あのなぁ、あんたら。いくらうちでも初対面のヤツを娘にしようなんてそんなことあるわけないやろ」
 嘘だ。絶対、嘘だ。
 大嘘のくせに晴子さまは復活している。
 余計なことを言ってしまったか……?
「そういえば……観鈴さま、本日はなにゆえ薔薇族の館に?」
「そうね、そのこと聞くの忘れてたわね」
「そんなん決まっとるやん。愛しい晴子様に会いに来たんや〜」
「…君はちょっと黙っててくれ」
「えっと……愛しくはないんだけど、その…晴子さまに会いに……」
 ――嘘っ、ホントに晴子のホラじゃないの!?
 観鈴の言葉でちょっと騒然としてしまった。
 当の晴子さまはというと――勝ち誇った笑みを浮かべている。
 どうしよう。本当のことをぶちまけてしまうべきか。
「ほらほら観鈴。うちらの仲は公認やねんから、さっさと商工会バッチ交換して親子の契り結ぼな〜」
 わ、いきなり呼び捨て…。
 早くも晴子さまはバッチを取り出してきた。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! あなた、本当にそれでいいの!? 晴子の娘になるぐらいなら死んだほうがマシよ! 悪徳債権回収業者よりタチが悪いんですからね!」
「だから、それが妹に向かって言うことか!!」
 郁子さままでパニックに陥っている。
「なぁ、観鈴。今日からうちの娘なるもんなぁ」
「観鈴君、はっきりと断るんだ。怖くても我々がいるから大丈夫」
「観鈴さん、晴子に負けてはだめ。正直な気持ちを聞かせて。そしてちゃんと断って」
「悪に屈してはいけませぬ」
「……ガッツ…」
「ごっつい言われようやなっっ」
 薔薇さま方が助け舟を出してくれるが、晴子さまは「断ったらどうなるかわかっとるやろな?」と言わんばかりの表情だ。
「さあ観鈴。このバッチ、受け取ってくれるな……?」
 全員が固唾を飲んで見守る中、クラナドの証である商工会バッチが差し出された。
「えっと……その…」
「ほら、ためらうことなんかあらへん」
 晴子さまは気味が悪いくらいに優しい顔だ。
「それじゃ、遠慮なく…………お断りしますっ」
 ――ほんの一瞬、場が凍った。
「な、ななななっ、なんやてぇーーーーーーーーーーーー!!!」
 静寂を破ったのはもちろん晴子さま。
 またもや観鈴は襟くびを掴まれて前後にぐわんぐわんと揺らされた。
「なんでやねんっっ。なんでやねん!! なんでやねーーーーーーーんっ!!」
 頬を紅潮させて、世にも信じられぬものを見たような表情。
 あ、ちょっとスッキリしたかも。
「三度も言うてしもたやないか! それほど衝撃的やった言うことやで!」
「晴子さま、いさぎよく諦められたほうがよろしいかと存じます」
「嘘やろ!? ちょっとしたおちゃめさんやったんやろっ。ほんまはYesなんやろ!? ていうかYesと言えっ」
「お断りします。にはは」
「いやっほーぅ! 観鈴最高ー!」
「郁子君、キャラが変わってるぞ…」
 なぜかみんなハイになっていた。
「まだ言うか! 却下じゃ、このアンポン娘がっ!」
「あ…アンポン娘…」
「そうや。あんた、アンポン娘や」
「が、がお…」
 ぽかっ。
「イタイ…」
 ついには殴られてしまった。
「晴子、もうおやめなさい。あなたはふられたのよ」
「はっはっは。見苦しい真似はやめたまえ」
「おやおやまあまあ。見境がなくなってますわねぇ」
「…空手の……通信教育…」
 薔薇さま方は非常に楽しそうだ。それに反比例して晴子さまはヘコんでいる。
 トドメを刺すなら今だと観鈴は決心した。
「それにおばさん、トランプ返して」
「お、おばさんやとぉーーーーーーーっ!!」
「トランプ……? なんのことだ観鈴君」
「わたし、今日ここへ来たのはトランプを取り戻すためなんです」
 観鈴以外の全員が顔に疑問符を浮かべた中、取り上げた本人である晴子さままでもが意味不明のようだった。
 ……もう容赦はしない。
「朝に、晴子さんに、わたしのトランプとられたの。証拠もあります」
 神奈ちんから買った証拠写真……しめて一両也が本当に役に立ってしまった。
「な、ななななっ、なんですってぇーーーーーーーーーーーー!!!」
 今度は郁子さまに襟くびを掴まれ揺すられる。この行為は晴薔薇一族の伝統なのだろうか。
 ぐわしと写真を奪われ、それをまじまじと見つめた郁子さまの肩はわなわなと慄えていた。
「晴子ちゃん、この写真はいったいなんなのかしら……?」
 ――ちゃん付けの極低温仕様で微笑む郁子さまは誰よりも怖かった。
「う、うちそんなん知らんでっ。ほんまに知らんねん!!」
 全身で無実を訴える晴子さまも恐怖に後ずさり状態だった。
「ほんならここに写っとるんは誰やねんっ。あんたしかおらんやろう! ええ!! このアンポン妹がっ! 人様に迷惑かけるなとあれほど言い聞かせてきたのにまだ足りんっちゅうんかこの※○△×□≒§〆〒ΛΩ」
 ……怖い。関西弁の郁子さまは怖すぎる。あまりの剣幕に最後の方が聞き取れなかったぐらいだ。
「郁子君が関西弁化したら、もう我々にはどうしようもない」
「おやおやまあまあ、おとなしく嵐が過ぎるのを待つしかありませんねえ」
「…ふふ……通信教育で空手なんて…」
 あれあれ。晴子さまったらしゃがみこんで頭まで抱えている。ちょっとかわいそうだったかもしれない。
「――みなさま、はしたないところをお見せしてしまって申し訳ありませんわ」
 ようやく嵐が過ぎ去り、郁子さまも正気に戻ったようだ。
 でもまだちょっと怖い……。
「観鈴さん、うちの妹が大変ご迷惑をおかけしまして。ほら晴子、謝って、トランプをお返ししなさい」
「か、堪忍やでぇ……。悪気はなかってん。ちょっとしたおちゃめさんやってん…」
「この子には後で私からきつーいお仕置きをしておきますから。観鈴さん、許してあげてくれるかしら」
「は、はい。わたしはトランプさえ戻れば……」
 郁子さまの氷の微笑に、晴子以上に半泣き状態の観鈴であった。
「いい? 晴子。もうあなたの却下は聞き入れられません。観鈴さんに迷惑をかけた罰として、失楽園の主人公も引き受けてもらいます。文句はないわね」
「うぅ……」
 泣きっ面にハチとはまさにこのことだろうか。さっきまでとうってかわって晴子さまが不憫に思えてきた。
「あ、あのっ。配役を変えるのって無理なんですか? このままじゃ晴子さんちょっとかわいそう…」
「あら。どうして今さらあなたが晴子をかばうのかしら?」
 確かに悪いのは晴子さまだが……こうなった原因も少しは自分にあるかもしれない。そう考えると後味が悪くなってきたのだった。
「例えば裏葉さまと役を交替するとか。裏葉さまなら、すっごい美人で余裕も貫禄も十分。まさに大人の女って感じ。観鈴ちんかしこい。ぶいっ」
「おやおやまあまあ。おもしろい冗談ですこと」
 顔は笑ってるけど目は笑ってない。
 裏薔薇さま(ロサ・ウラーナ)も怒らせたら郁子さま級に怖いのかもしれない……。
「ふむ」
 今まで黙って状況を見つめていた聖さまが口を開いた。
「郁子君、ちょっと相談があるのだが」
「まあ、なんですの?」
「どうだろう。このまま晴子君に劇をやらせてもいい結果は出ないと思うのだが」
「それは罰ですもの。しかたありませんわ。それにまた後で文句が出るようならこの私が容赦しませんですことよ」
 例の微笑で威嚇すると、晴子さまはさらに小さくなってしまった。
「まあまあ、君も落ち着きたまえ。せっかくやるのならいいものを作り上げたいではないか」
「それはそうですけど…」
「そこでだ。晴子君に一度だけチャンスを与えてみてはどうだろう」
「チャンスですって?」
「一種の賭けだな。晴子君にギャンブルをさせて、負けたその罰ゲームとして不倫女をやらせるのだ」
「まあ、そんなこと! ギャンブルになど頼らず、日々堅実に売上を伸ばしていくのがリリAIRン生徒の使命ですわ!」
「大丈夫。負けはしない。負けない戦を積み重ねていくことこそリリAIRンの本領だろう。君もそう思わないか」
「そういうものかもしれませんけど……。いったいどんな内容なのかしら」
「それはだな…」
 一呼吸間を置いて、聖さまは衝撃的な内容を告げた。
「晴子君が観鈴君を娘に出来るかどうか。期限は学園祭までの一週間。当然晴子君には"出来る"方に賭けてもらう」
 ――ほんの一瞬、場が凍った。
「え、ええええっ、えぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 静寂を破ったのはもちろん観鈴。
「どうしてそういうこと言うかなぁ! 言うかなぁ!!」
 聖さまの襟くびを掴んでぐわんぐわんと揺さぶった。
「き、君も落ち着きたまえっ。バッチを受け取らなければいいだけの話だ」
 観鈴の勢いにタジタジの聖さま。
 そのとき、今まで静まっていた方向から忍び笑いが漏れてきた。
「クックック……」
「……あ…鳩さん……」
「よっしゃ! その話乗ったっっ!!」
 復活した晴子さまだった。
「わ、乗っちゃダメっ!」
「ご、ごふ!」
 今度は晴子さまの襟くびを締め上げる。
「あー、ちなみに観鈴君」
 襟を解放された聖さまが続ける。
「もし晴子君が賭けに勝った場合、そのときは君に不倫女をやってもらうからな。そのつもりでいるように」
「どうしてそういうことするかなぁ! どうしてそういうことするかなぁ!」
「げ、げふ! 襟くびを掴むのはよしたまえ晴薔薇一家!」
 家族という呼ばれようはまったくもって不本意である。
「とにかくだ。晴子君が勝った場合、君は彼女の娘となる。母親が抜けた後を娘が埋めるのは当然だろう?」
「うぅ…」
 どうやらとんでもないことになってしまったようだ。
 なにか自分には呪いでもかかっているのだろうか。
「おやおやまあまあ、おもしろいことになってきましたわねぇ」
「いいわね。観鈴さんの不倫女も楽しそうだわ」
「…ぽ」
「まあ恨むなら一瞬でも晴子君をかばおうとした自分を恨むことだな」
「が、がお…」
 文字通り、観鈴はその場に崩れ落ちてしまった。





「どうしたその顔は。翼人の呪いで人生が終わったかのような顔をしておるぞ」
「……翼人って?」
「気にするな。ただの喩えだ」
 けしかけた以上は気になっていたのか、校門前で神奈ちんが待っていた。
「その様子であればトランプも取り戻せなかったのであろ。そなたもとんだ益体なしよの」
「ううん。トランプは返してもらったんだけど…」
「ほほう、なかなかやるではないか。うまくいったのなら三両でもよかったかの」
 ――今にして思うのだが、写真代の一両でトランプを買い直せばよかったのではないだろうか?
 驚愕の事実を発見し、またもや崩れ落ちそうになった、そのとき。

「ちょっと待ちぃ」

 まるで朝と同じ。背後からの声。
「晴子さん…」
 走ってきたのか、少し肩で息をしながら十メートルほど先に晴子さまが立っていた。
「姉ちゃん、今日はよくもやってくれたなぁ。覚悟しときや、絶対あんたの母親(クラナド)になってみせるからな。うちはあんたをいつでも見てる。あんたがそれに気づいたとき、うちは既に行動を開始してるんや。それを覚えとくんやで」
「すとーかーというやつかの」
 聞こえない声で神奈ちんがつぶやいたのだが、まさしくそれはストーカーではないのだろうか。
「ほなまいどおおきに。夜道には気ぃつけて帰るんやで」
 言いたいことだけを言うとニンマリと笑って、最後にはしっかりと脅すことを忘れず、晴子さまは校舎のほうへ戻っていった。
「虚勢もあそこまで貫き通すと立派なものだの」
 後ろ姿を見送りながら神奈ちんが素直な感想を述べた。
 明日から学校を休もうか?
 そのとき観鈴は登校拒否について真剣に考え込んでいたのだった……。






つづく…   の?



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