- 90 名前:ちがった空へ1(晴子支援)
投稿日:02/01/20 04:53 ID:TIdFkawW
防波堤に沿って、まっすぐに歩く。 町の境界を示す唯一の目印は、先に向かって伸びている。
太陽の照り返しで視界は真っ白に染まっていた。夏の日射は、歩みをおし留め
ようと真上から圧し掛かっていた。白いアスファルトに楔を打つように足を進めた。
背後から空きっぱらに響く低い轟音が聞こえてきた。咆哮は俺のすぐ横で止まった。 「待ちーな」 構うことはしない。そのまま歩く。
「待て、ゆーとるやろがっ」 「ぐわっ」 頭に衝撃。意識の薄れる頭でようやく体勢を立て直し、足元に転がるものを拾った。
塗料の剥げた黒いヘルメットだった。 それを拾い上げ、ゆっくりと振り返った。
ワンレングスの髪をなびかせるバイクスーツ姿の女性が、赤い巨大なバイクに またがっていた。 「どこ行くんや?」
「……あんたには、関係のないことだ」 構う必要もない。 かつて、娘をほったらかしにして出て行った母親など――。
俺が目を覚ましたときすでに観鈴の姿はなかった。代わりに保育所で働く彼女が
神尾の家にいた。一日の中で彼女と顔を合わせることはほとんどなかった。方術の
力はなくなっていたので、夜遅くまでリアカーを引きリサイクル品を集めて回った。
深夜にまれに顔をあわせたときには、彼女が一方的に話した。やっぱ子供相手は 疲れるわー、などと笑いながら言う彼女に、俺は背を向けて眠った。
「行くで?」 彼女はまたがったままバイクを横につけた。 「観鈴んとこ、行くんやろ?」
- 「さあな」
「あんた、観鈴がどこにおるか知っとんか」 「半透明の少女が現れたなんて噂、街を巡ればそのうち耳に入るさ。それに心あたりも
ある」 立ち聞きした彼女への電話で、観鈴が空から戻ってきたことを知った。電話の相手は
彼女の元旦那で、彼のところに観鈴は姿を現しているらしかった。おおまかな場所も 分かった。それで十分だ。 「『羽根の生えた少女』の話か?」
「なッ……?!」 「なんでそのことを知っとるんや、ちゅう顔やなー」 彼女はにやにやと笑い、ハンドルに肘をついてこちらの顔を覗き込んだ。
「ほんまあんた、顔に思とることがすぐ出るなぁ。普段のぶっきらぼうな面とえらい 違いや」 「ほっとけ」
「あんたが行こうとしとるところ――」彼女は構わず話を続けた。 「敬介の家は、その神社の氏子やねん。当然、縁起やらなんやら残っとってな。
『空の少女』がどうとか『千年の呪い』がこうとか、全部聞き出したったわ。なんや
むっちゃけったくそ悪いなよなぁ。うちらがそんなこと知るかっちゅうねん」 「で……、あんた、行くのか」
なるべく声にドスをきかせ、訝しげな表情で尋ねてみせた。 「あんたの言う空の少女の話は、俺の家と観鈴や他の少女たちとの問題だ。他人の
入る余地はない。俺の家はそのために定住する家も食い扶持も捨て、風に身をまかせ たんだ」
「行くで、あたしは。やり直さなあかんことがぎょうさんあるんや」 彼女は目を伏せ、自分に言い聞かせるように呟いた。
それからやおら八重歯を見せてにぱっと笑った。 「当たり前やん〜。あのあほちん、叱ってやらなあかんしなーっ」 「……ああ」
俺は手にあったヘルメットを胸の前まで持ち上げた。 顔がほころぶ。彼女も口元をあげた。
- 「俺も、観鈴には一言ある」
「そういうこっちゃ。さ、はよ、メットかぶらんかいな」 彼女はぱんぱんと自分のバイクのシートを叩いた。
ヘルメットを被った。 視界のほとんどが覆われ、小窓に切り取られた正面の風景が残る。
シートをまたぎ、後ろにすわった。これから手も足も、バイクにしがみつく ことにしか使われないことになる。
「一応確認やけど、前みたいなことしなや」 「前みたいな?」 「右に曲がるときはあんたも右に身体を傾けること。左に曲がるときは左に傾ける。
ま、普通に乗っとったらそうなるけどな」 「風に身を任せるのは得意だ」 そか、とだけ言って、彼女は身体を前に傾けた。
バイクは、何度かうなり声を大きくあげると、身体を大きく震わせ、回旋する足で地面を削るようにして駆け出した。 手に力をこめ、体重を預けた。
これまで、いろいろな旅をしてきた。 稼いだ路銀でバスに乗ることもあれば、より大きな街を目指して歩いたこともあった。ヒッチハイクも試みた。
しかし、バイクにタンデムで乗るのは初めてだった。 圧倒的な風が身体をすり抜けていく。
エンジンの騒音と風の鳴る音と伝わる振動とで、どうにかなりそうだった。飛ばされないように、彼女の腰に掴まった。 「なんや、怖いんか?」
彼女の甲高い早口もくぐもっていて、ようやく聞き取れるほどだった。 「違う」
それだけ言おうにも、つけているヘルメットの違和感が言葉にするのを拒む。 「この子も煩いけど、我慢しーや」
海岸線に沿った緩やかなカーブを、赤いバイクは車体を傾けながらすり抜けていく。
虚仮おどしのように大きな車体は低いうなりをあげていた。彼女の愛用のバイクの後ろ
に自分が乗っていることも意外だが、彼女と旅に出ようとしていること自体意外だった。
- バスの停留所が目に入った。防波堤沿いに造られたトタン屋根の待合所には、誰の
姿もなかった。その光景も一瞬に遠くへと追いやられる。
こんなに簡単だったのか――、この町を出るのは。 そんな感慨が頭を過ぎる。 風は流し去っていく。そこにあったはずの、夏の大気を。
「待っとりや、観鈴――」 彼女――神尾晴子の呟きが聞こえてきた。バイクの放つ轟のなかでも、小さな囁きは はっきりと耳に届いた。
流れ着いた小さな町で出会った一人の少女。流浪の旅に身を窶し、全てを捨ててきた俺が、 どうして彼女に拘るのかは、俺自身にも判らなかった。
ただ。 一つ言えるのは、この旅がこれまで繰り返してきた旅と違う、ということだ。
感覚を風に浸し、遠く拡がる空を思い浮かべた。しかし、空の涯へと突き抜けていく鳥の イメージは、いつまでも浮かび上がってこなかった。
海は山影に隠れて見えなくなった。バイクは鋭い音をたてながら、木々のうねる道に 飛び込んでいった。
- 104 名前:90 投稿日:02/01/20
05:12 ID:TIdFkawW
- >>90,95,100,101
最萌初投票&SS初投稿です。不備がありましたらごめんなさい。
前スレ383に心震わされ、何かせねばとHDDに眠っていた断片の体裁を整えて
アップしました。あんまり、萌え〜って感じではないですが。
あらためて<<晴子>>さんに一票。ADSLです。
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